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会津木綿

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会津木綿
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八重の桜

会津木綿は陸奥国会津郡(福島県西部)の伝統的綿織物のことです。
会津木綿は江戸時代に野良着と呼ばれる農家の日常着からスタートしました。とにかく丈夫で、汚れても水でジャブジャブ洗えて、長持ちします。紡がれた糸は藍で染められ、固く糊付けされた経糸に横糸を織り込んだ厚目の生地の会津木綿は強くて暖かく、藍色の濃淡を組み合わせた縞模様が特徴でした。会津は四方を山脈に囲まれた会津平という盆地にあります。夏は暑く、冬の寒さは厳しい、盆地に特有の気候に適した衣類の素材として、会津木綿は四百年以上受け継がれてきました。
幕末、戊辰戦争で活躍した会津の白虎隊も少年時代から会津木綿に親しんでいたのです。戊辰戦争では、会津藩の砲術師範・山本権八の娘、山本八重もゲベール銃や新式のスペンサー銃で新政府軍と奮闘していました。山本八重はその後日本赤十字社の篤志看護婦として日清・日露戦争で活躍し、皇族以外の女性として初めて叙勲を受けたのです。山本八重は「ならぬことはならぬものです」(什の掟)という会津地方の精神を体現した女性として、NHKの大河ドラマ「八重の桜」でその生涯が描かれました。この「八重の桜」の中で登場人物たちが着用していた衣服に用いられていたのが会津木綿だったのです。そのため「八重の桜」の放映をきっかけに会津木綿が広く知れ渡り、ブームにもなりました。

歴史

会津地方の木綿産業は、天正年間(1573-1593年)に会津藩主だった蒲生氏郷公が、会津藩の産業振興のため綿花の栽培を奨励したことから始まるとされています。
そして寛永4年(1627年)に会津に入府した加藤嘉明が以前の領国であった伊予国松山から連れてきた織師職人によって、木綿の縞織物技術が伝えられました。その頃、伊予国松山では「伊予縞」と呼ばれる木綿の縞織物を特産品とし、木綿織物が盛んだったのです。
その後、江戸時代に入ってから、会津松平家初代藩主保科正之(1611~1672年)が、綿花の生産、藍草の栽培、機織を奨励し、綿織物が広く普及しました。「機織」は農民だけでなく藩士の妻女の内職としても行われ、会津藩の特産品の一つとして、藩の保護政策のもとで発達していったのです。綿花栽培が行われている所では、綿でつむいだ生糸をその地の草木で染め上げ、その土地独自の色あわせの縞柄を作ります。これを「地縞」と呼びます。藍の生産が盛んだった会津の「地縞」は「藍色」です。濃淡に染め上げた様々な藍色の糸をつくり、濃い藍と淡い藍を組み合わせて木綿を織り上げ、多彩な種類の縞模様が作られてきました。会津地方は北、東、中央、南と大きく4つの地域に分かれていて、木綿の縞模様がそれぞれの地域で異なっていたのです。

昔は、木綿はとても貴重で、新しい木綿をおろすということは特別なイベントでした。木綿布をつくるためには、綿花を育て、それを摘み、糸をつむぎ、藍草を使って染料をつくり、糸を濃紺に染め上げます。仕入れた生糸を高温のお湯で、煮沸します。これによって、糸の油分がなくなりますので、染まりやすくなるのです。そして、糸を阿波藍の藍甕に浸し、絞ります。この、浸して、絞る、という作業を何度も繰り返しながら、きれいに染まっていくのです。そして染め終わった糸は、水洗いをして、乾燥させます。天日乾燥が最適であり、乾きが早く、糸の仕上がりが柔らかくなるそうです。倹約のため、武家の女性たちもこのような手間のかかる作業を行っていたのです。そのため、今のように破れたら捨てるということは許されませんでした。古くなっても、すりきれたら布をついで、仕立てしなおして着ていたのです。最後には、ぞうきんにしたり、布を細く裂いて、それを編んで敷物を作ったりして再利用したのです。
明治中頃から、紡糸紡績業が発達します。綿花も海外から輸入されるようになり、会津木綿も機業場で大量生産され、明治末期から大正にかけて最盛期を迎えます。
昭和初期まで、木綿は農家の仕事着としての需要がありました。会津地方の仕事着は一般にサルッパカマと呼ばれていました。サルのように見えるという意味なのでしょうか。腰からひざ下まではゆったりとして、ひざ下から足首までは足に密着していて、前と後ろそれぞれに紐がついていて、それらを別々にむすんで着用するというスタイルです。藍色と黄土色の会津木綿の組み合わせで作られ、破れると継ぎはぎをしながら使われたのです。もんぺと呼ばれる全体にゆったりとした袴と股引を合わせた衣類は、農家の女性の普段着であり、おしゃれ着でもありました。冬は暖かく夏は涼しいもんぺはなくてはならぬ衣類であり、女性たちは、「絣のもんぺ」を愛用していて、会津木綿の絣のもんぺも盛んに作られていました。1反から2着作ることのできるもんぺは戦時中は非常服としても重用されました。そして、それまでの袴式のもんぺから洋装化したパンツ式のもんぺが考案されたのです。
しかし、戦時中に金属類回収令が出されて、工場などにある鉄類は、国に没収されてしまうことになりました。工場で使っていた織機の鉄材も供出しなければならなくなり、織物が作れなくなり、織元も減ってしまったのです。終戦後には、それらを買い直し、工場の復旧が試みられましたが、会津若松市に4軒の織元、会津坂下町に3軒、それから、塩川町に3軒、猪苗代町に2軒の織元だけとなってしまいました。戦後、人々の生活スタイルが変わると会津木綿の需要は急速に減少していきます。そして織元はさらに減っていきました。最盛期は30社以上の織元がありましたが、現在は「山田木綿織元」「はらっぱ 原山織物工場」の2社が会津木綿を生産しています。機業場が創業された当時から会津木綿の柄は、大切に守られてきましたが、昔からの伝統的な柄のほかにも、それぞれの時代ごとに新しい柄が登場しました。その結果これまでに100以上の柄が作られたそうです。

「原山織物工場」では、現在でも「豊田式織機株式会社」の銘入りの明治生まれの自動織機が機を織っています。1899年の創業来、小幅と言われている37センチの会津木綿の生地を製造してきました。10名以内ならば古い自動織機が会津木綿を織る様子を見学することもできます。この工場で生産される会津木綿のブランドが会津若松の「かねろく」です。

山田木綿織元は、ポーチやバック類などがおすすめの会津木綿ショップを開いています。こちらも予約すれば、工場見学が出来ます。

工場見学

自動織機の工場では、昔作られた自動織機が今でも使われているのです。仕上がった糸は、年代モノの機場で自動的に織られていきます。古風な音を立てて、ベルトが勢いよく回ります。杼が左右に行き交い、会津木綿の反物が出来上がっていくのです。そして、この動いている織機をチェックしながら、次の糸をセットする作業や、織りの具合を見るのは、女性の仕事です。そして、織り上がった会津木綿の反物は、湯通しされます。1反を作るためにかかる時間は、平均2日間。藍染めを開始してから数えると、2週間ほどかかるそうです。会津木綿の工場を見学すると、本当に歴史の重みがずっしりと感じられます。昔から使われていた織機が今なお、現役として活躍していることに驚かされます。使い捨てではなく「本当に良いものを長く使いたい」という精神が伝承されているのです。

現代の会津木綿

現在では、色鮮やかな縞柄の木綿製品が作られています。会津木綿で作られる製品の種類も現在はバラエティに富んでいます。反物縞や反物無地などをはじめ、ランチ袋やランチョンマット、箸袋やコースター、前掛、割烹着や座布団、ポーチ、ティッシュ入れ、巾着など、衣類では、シャツやブラウス、ネクタイ、作務衣、着物単衣などがあります。
伝統の会津木綿製品を販売している小売店では、会津木綿ショップ「もめん絲(いと)」(会津若松市七日町)がとても充実しています。お店のなかに並べられているほとんどの商品が、地元主婦によって作られたハンドメイドの品なのです。現代風のキルトを使った雑貨も人気があります。「アトリエズー」は、縫製会社であり、グッズはネット販売もしています。会津木綿の服や雑貨がおすすめです。同じく若松市七日町にある「ワクわく街丸正」は、婦人服や和服、また、小物も取り扱うなか、会津木綿の商品も扱っています。「福西本店」は、「福西伊兵衛商店」という名称で知られている昔からの老舗です。元は木綿問屋だったそうです。大正時代の蔵を使って作られた店内は、広い畳があり、座り売りという昔ながら方法で販売されています。建物が歴史的景観指定建造物にもなっているお店なので、中を是非見てましょう。会津木綿のほかにも、からむしや漆器、赤べこ、また、起き上がり小法師など、会津の楽しい民芸品もありますよ。
米沢市簗沢の、Gallery Wing(ギャラリーウイング)では会津木綿で作った手作りパンツが人気です。ギャラリーは平成16年に開設されました。昔から会津木綿を使ってキモノ、半天、羽織、もんぺなどの衣類が作られてきましたが、Gallery Wingでは、洋裁技術を生かして会津木綿を使用した男女用パンツを制作したところ、軽くて着易く通気性も良く、デザインが斬新であると好評となったのです。9000円のパンツの他にも女性用のブラウス、シャツ、スカートなどが展示されています。
21世紀になってからは、もんぺスタイルが新たに見直されるようになりました。
「下関市安岡で米作りを始めて3年になります。土に触れ、季節の移り変わりとともに稲の成長を見届けることを楽しく思っておりますが、都会の若い人達にも田植えや稲刈りに声をかけると、多くの人達が遠路はるばる手伝いに来てくれるので驚きます。」(安倍昭恵,農業スタイルコレクション2013in長門油谷with会津若松 農作業着ファッションショー,2013年10月13日,農業スタイルコレクション2013実行委員会 山口県立大学企画デザイン研究室 )このような農業に興味を持つ若い人向けに、戦時中のもんぺをさらに改良したモンペスタイルのモッペッコが発案されました。股上を直線にし、脇にステッチが入ったスタイリッシュな男女共用パンツです。そして伝統的で高価な素材以外に気軽に着用できる安価な綿素材のモンペッコが開発され、グローバルモンペッコと名付けられました。ハワイのアロハシャツ用生地や西部中央アフリカのワックス染織生地、フィンランドのマリメッコの生地、迷彩柄など男女共通のデザインが製造されました。その中には会津木綿を素材にしたモンペッコもあります。棚田で有名な山口県の油谷で2013年に農作業着ファッションショーが開催され、グローバルモンペッコのファッションが披露されました。ファッションショーでは、会津のサルッパカマもリデザインされて、ひざ当て付やキルティングを使用したNora Quiltingという名称のおしゃれな上下の作業着となりました。

以下(モンペとサルッパカマをリデザインした農作業着のデザイン-「農業スタイルコレクション2013 in 長門油谷 with 会津若松」を事例として-,水谷由美子 安倍昭恵 武永佳奈 水津初美,2014)より

サルッパカマ(写真3)

以下(モンペとサルッパカマをリデザインした農作業着のデザイン-「農業スタイルコレクション2013 in 長門油谷 with 会津若松」を事例として-,水谷由美子 安倍昭恵 武永佳奈 水津初美,2014)より
サルッパカマ(写真3)

基本のサルッパカマ(写真22)

基本のサルッパカマ(写真22)

日本農業新聞掲載のモンペッコパターン(写真7)

日本農業新聞掲載のモンペッコパターン(写真7)

グローバルモンペッコ(ガーナ)(写真8)

グローバルモンペッコ(ガーナ)(写真8)

グローバルモンペッコ(会津木綿)(写真11)

グローバルモンペッコ(会津木綿)(写真11)

サルッパカマをリデザインした
Nora Quilting(写真23,24,25)

サルッパカマがリデザインされた
Nora Quilting(写真23,24,25)

健康に価値を置き、環境問題に関心の高い人のライフスタイルをロハスといいますが、ロハススタイルの一つとしても会津木綿が見直されています。会津木綿は「良いものを長く使う」というロハススタイルにぴったり合っているのです。会津木綿の衣類は、夏は涼しく、冬の肌触りは温かく、洗う度に風合いが増すというエコロジカルな生地なので、普段着の素材として最高の生地なのです。第一印刷という会社によって興された「福の鳥プロジェクト」では、会津木綿の伝統ある美しい縞模様を紙で再現したはがきのセット商品(会津木綿柄はがき箋)としました。福島の復興のために製造したものであり、地元の会津木綿に注目して、地元復興に生かせないかと考案されたのです。当初は、難しいと思われていましたが、会津木綿の美しさを紙で表現することに成功したのです。多くの種類があり、「福の鳥プロジェクト」で購入することができます。

以下は、ネット販売されている会津木綿製品のご紹介です。

会津木綿1m

赤緑縞

エンジ地茶緑生成三色細縞

紺地太縞

紺地3色縞

紺茶多色縞

生成地カラフル縞

生成細縞

浅葱地細縞

エンジ緑紺縞

会津木綿柄貼り箱と折り紙
会津木綿のイメージを紙で表現した和紙。その和紙を使用した貼り箱で、中には20柄が各4枚の折り紙が計80枚入っています。

扇子

キュロットパンツ

サルエパンツ

文庫カバー

ポーチ

手提げ

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