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煎餅の歴史

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煎餅の歴史
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日本の煎餅の歴史

・江戸時代まで

煎餅という言葉の起源は中国にあり、「チェンビン」と読みます。それは生卵とネギやニラなどの具を小麦粉練を伸ばした皮で包んで焼いた軽食でした。7世紀初頭の「荊楚歳時記」や「唐六典膳部職」に登場します。南北朝時代末期の年中行事で、正月七日の(人日(じんじつ 五節句の一つ)や、三月三日の朝食に煎餅を加えることが書かれています。「薫火」とも呼ばれます。
日本の煎餅の記録は、古くは正倉院文書の「但馬国正税帳」天平九年(737年)に煎餅の文字が出てきて、伊利毛知比(いりもちひ)と読ませています。同じく正倉院文書の「淡路国正税帳」天平十年(738年)十二月の條に「大豆餅十二枚、煎餅三十二枚」と煎餅の文字が登場し、翌年の「伊豆国正税帳」に大豆餅、小豆餅とともに煎餅三十二枚が登場し、「胡麻油 王に久合陸勺 煎餅 阿久良形 菱形等料」とあるのでごま油を使って加工されたことがわかります。
垣武天皇の時代には弘法大師の亀甲型煎餅の伝説があります。延暦23年(804年)、唐への留学僧空海が唐の順宗帝に招かれた折、賜った料理の中に亀甲形の煎餅がありました。この味が良かったため空海は亀甲形煎餅の製法を聞き出し、大同元年(806年)に帰国したとき、山城国葛野郡嵯峨小倉里の住人和三郎にその内容を伝えたという伝説です。和三郎は葛根と米粉と果実を混ぜて焼いた煎餅を開発し、それに「亀の子煎餅」と名付けて嵯峨天皇に献上しました。そして亀屋和泉藤原政重と名のって全国に亀の子煎餅をはじめとする創作お菓子を広めたとされます。
清和天皇の貞観五年(863年)、京都で疫病が流行したため悪霊退散を願って「唐板(からいた)煎餅」と名付けられたものを神前に供えて厄病除けを祈願したという記録があります。「唐板煎餅」はその後、京都の上御霊神社の境内で厄病よけ煎餅として復活し、現在に至るまで売られています。
『和名類聚抄』(承平四年(934年))では、煎餅とは小麦麺を油で熬つたものと説明されており、このころまでは中国のチェンビンの伝統を受け継ぐ小麦を使った軽食であったことがうかがえます。
室町時代以降、煎餅はお菓子として作られるようになりました。『利休百会記』(天正十九年(1591年)) には利休が茶菓子として「フノヤキ」を繰り返し用いていたことが記されています。「フノヤキ」は小麦粉を焼いた煎餅であったと考えられています。
慶長八(1603)年に長崎で日本イエスズ会が刊行した「日葡辞書」には「Xenbei」が米を原料とした聖体パンのようなものと解説されているので、煎餅の原料は小麦だけではなく米も使っていたことがわかります。

・江戸時代以降

江戸時代初期の一般家庭で作られていた菓子の中に「かうらいせんべい」と呼ばれるものがありました。万聞書(刊行年不詳)という文書には、その作りたが書かれています。小麦粉2に対して米の粉1を合わせてこね、せんべい焼の型に油をすこしつけて、こねた粉をそこに入れて炭火で焼いて作るという方法です。
かうらいせんべいとは高麗煎餅のことで、大阪堺市の高麗屋で売り出されていたためこの名前が付いたようです。大田南畝の随筆「一話一言」の天和三年(1683年)の桔梗屋菓子銘の中に、「かうらい煎餅」の名があることからも市販されていたことがわかります。
江戸時代には煎餅の製法も工夫が重ねられ、各地に名物煎餅が生まれるようになります。
1638年に松江重頼がまとめた俳諧の作法書「毛吹草」の第4巻諸国名物にお菓子についても記載されており、煎餅では「山城」、「和泉」、「武蔵」、「近江」、「加賀」、 「淡路」、「出羽」の6つが名所として紹介されています。
1689年、中川茂兵衛によって刊行された江戸時代の料理本「合類日用料理抄」には「法緑せんべい」、「雪せんべい」、 「はくらいせんべい」という名称の煎餅が登場し、米を使って作ると説明されています。
元禄年間(1688~1704年)には煎餅の種類が急増します。
元禄三年(1690年)発行された「人倫訓蒙図彙」にはさまざまな職業が図解されていて、その中で「煎餅師・道明寺師」に煎餅の作り方が描かれています。伸ばした生地を火箸ではさんで、うちわで扇ぎながら直接火にあぶって作る様子が描かれています。この作り方だと、煎餅は平らにはならず凸凹を含んだ形になります。


「人倫訓蒙図彙」(国立国会図書館デジタルライブラリ より)

国立国会図書館デジタルライブラリより

正徳三年(1713年)刊行 「和漢三才図会」にも一般的な煎餅の作り方が2種紹介されています。
「小麦と糖蜜を練って、せいろで蒸し、ちぎって李の大きさにして竹筒でのしてから乾かし、一枚づつ鉄製の皿範(かたなべ)という道具を使って両面を焼く。」
「生のもち米粉と生の豆粉と水飴を練ってこねて雀の卵くらいにして、竹筒で薄くのして日に乾かす。それを火であぶって膨れ上がらせる、脆くて美味なり。」
皿範を使って作る方法は、鉄板の型を使うので、型に絵図や文様を刻印することができました。型を使った煎餅で有名だったのが、六條煎餅、亀蔵煎餅、団十郎煎餅などの両面焼きの煎餅です。
「六條煎餅」は貞享年間(1684~1688年)に京都の六条で売られたのでこの名が付きました。「団十郎煎餅」は歌舞役者が作って売っていた高価な煎餅の一つで、団十郎の名前と団十郎家の紋である三升が入った大きな煎餅でした。江戸時代、煎餅は広く知られた人気のお菓子であり、このような歌舞伎役者の名前が使われた煎餅もあったのです。そして歌舞伎の演目の中でも煎餅が登場します。「助六由縁江戸桜」では、朝顔仙平という敵役子分のせりふで「事もおろかやこの糸びんは砂糖せんべえが孫、羽衣せんべえはおれが姉様、双六せんべえとは行逢い兄弟、姿見せんべえはおらがいとこ、竹村の堅巻せんべえが親分に、朝顔せんべえという色奴様だ」と当時の江戸で売られていた煎餅の名前が列挙されます。朝顔煎餅は京橋北八丁堀の藤屋清左衛門の作といわれ、朝顔の花を側面から見たような形をした煎餅であったとされています。
他に元禄期に売り出されて人気を博したのが、玩具入りの煎餅です。大黒煎餅と呼ばれ、三角形に折りたたんだ煎餅の中に木彫りの小さな大黒像を紙に包んで入れました。これが入っていると福が舞い込むとされて人気となったのです。玩具入り煎餅は全国に広まり、振るとカラカラと音が出ることからカラカラ煎餅、がらがら煎餅とも呼ばれるようになりました。大黒煎餅は、現代では食玩と呼ばれるおまけ付駄菓子の起源となりました。
「人倫訓蒙図彙」に描かれているような煎餅の作り方については、嬉遊笑覧(天保1 (1830) 年刊行)に、火であぶると煎餅の両面が鬼面のように膨張するため鬼煎餅と呼ぶと書かれています。近江の醒井で作られていた片餅も同じ種類の煎餅で名物とされていました。こちらは買い求めた人が食べるときに焼いたと書かれています。「鬼せんべい」と呼ばれる煎餅は大阪堺の津で売られていました。

せんべいには、米と塩、醤油を使って焼くせんべいと、小麦と砂糖を使う瓦せんべいと呼ばれるせんべいの2つの系統があるとされています。和漢三才図会では小麦、水飴を使うとしているので煎餅は瓦せんべい系の甘い味付けであったことがわかります。大田南畝(寛延二年(1749年) - 文政六年(1823年))も「まんじゅうせんべいはあまいもの」と記していることから、江戸時代の煎餅は甘味の瓦せんべいが主流であったのです。
嬉遊笑覧には小麦で作った塩せんべいが復活したことが記載されています。「塩せんべいといふものむかしの煎餅にて沙糖は入るるも入らぬも有べし廃れて後近在にて稀に見へしをこの頃は江戸にも流行りて本所柳島辺にて多く作り・・」とあります。
寛延(1750年)~明和(1764年)にかけて、江戸で大好評を博した煎餅が「歌煎餅」で、百人一首のカルタの形をしており、それぞれの歌の焼き印が押されていました。
安永年(1774年)になると種類はさらに多くなり、巻煎餅、薄雪煎餅、木の実煎餅、羽衣煎餅、吉野煎餅、松風煎餅、めった煎餅、千鳥煎餅、近江八景煎餅、つくばね煎餅、五色煎餅、若葉煎餅、利久煎餅、七草煎餅、若松煎餅、名取煎餅、はつれ煎餅、雪煎餅、丸山煎餅、軽焼煎餅などがありました。

・せんべいの近代化

享保二年(1717年)に神奈川宿の「若菜屋」は浦島伝説にあやかり亀の甲羅の形状をした「亀の甲せんべい」を売り出していました。文化七年(1810年)に小麦粉と卵と砂糖をまぜたものを亀甲の文様の入った皿範に流し込んで焼いて好評を博し、参勤交代の大名や大奥にも売りさばいて、せんべい焼近代化の嚆矢となりました。現代、この系統をひいているのが、横浜の「亀楽煎餅」、下関の江戸金の「亀甲煎餅」です
煎餅の製法は関東と関西で違いが生まれました。
関東では、若菜屋のように原材料に卵を入れ、薄手の煎餅にして単味のかおりを楽しむ傾向がありましたが、関西では、卵の量は少なく、小麦粉、砂糖の他に様々なものを入れて、皿範も合わせ目の広いものを使用し、大きくて厚い煎餅を作るという傾向がありました。その後この両者は混ざって、いろいろな種類の煎餅が作られるようになりました。

・草加せんべい

草加市にある1796年発行「万祝儀覚帖」に「煎餅」の文字があります。これが、草加せんべいのもっとも古い記録といわれています。
草加は昔から米どころで多くの米がとれました。草加せんべいはもとは農家の間食として作られていました。余った米を挽いて蒸して塩で味付けして、伸ばして打ち抜いたものの両面を炭火で焼いてつくる塩せんべいでした。関東米の産地である金町、柴又、町屋、千住、草加などで作られ、奥州街道の宿場町であった草加で売られたので草加せんべいと呼ばれるようになったのです。
江戸時代に利根川沿岸で醤油が醸造されるようになる(野田の醤油醸造)と焼きせんべいに醤油が塗られるようになります。醤油が一般的に広まる正保年代(1600年代ころ)に醤油味の煎餅が誕生しています。文化・文政の時代(1804年~1830年)には草加でも焼せんべいに醤油を塗って売られるようになりました。舟運によって江戸に運ばれた草加せんべいは、パリッとして香ばしい醤油の味は粋な江戸っ子好みの菓子として人気を獲得したのです。
明治後半になると煎餅屋が増えていきます。当時は雑貨などの商売の片手間に行われていました。
大正時代以降、草加煎餅の認知度が高くなります。そのきっかけは当時川越で行われた特別大演習で、煎餅が埼玉の名産品として天皇に献上されたことにあります。これが「天皇家が召し上がったおいしい草加の煎餅=草加せんべい」として名称が広がっていきました。このころから煎餅づくりは地場産業として発達していきました。

1.生地製造工程
うるち米の玄米を精米し、水洗いしたあと、挽いて粉にする→粉に熱湯を加えてこねる→せいろまたは蒸練機で蒸す→つき機でついて餅状にし、水槽の中で水にさらしてアク抜きする→再びつき、きめ細かく、のしやすくする→のし機で同じ厚さに伸ばし、型抜きする→天日干し、熱風乾燥、蒸気乾燥等の方法で乾燥させる

2.焼き上げ工程(仕上げ)
焼き台の上部に作られた水分を調整するためのせいろの箱(「ほいろ」という)の中に生地を入れる。ほいろの中の生地を取り出し焼き台の上にのせ、押し瓦で押して何度もひっくり返して生地が反らないように焼き、熱いうちに刷毛で醤油を塗り、乾かす。
その地域で伝統的に培われた「本場」の製法とその地域の材料を使った「本物」の味を作り続ける加工食品に対し、農林水産省が管轄する(財)食品産業センターが認定する地域食品ブランド表示基準により、平成18年2月に草加せんべい他6品目が第1号として認定されました。
当時の草加せんべいの基準
1.製造地:草加・八潮・川口・越谷・鳩ケ谷で製造
(注)鳩ヶ谷市は平成23年10月11日に川口市と合併
2.材料:関東近県で収穫された良質のうるち米
3.製造:最低10年の経験を持つ職人が製造を管理
4.焼き方:押し瓦での型焼き又は押し瓦方式を取り入れた堅焼き

草加せんべいの「本場の本物」ロゴが表示基準
1.草加市、八潮市、川口市、越谷市、鳩ヶ谷市で製造されたものであること。
2.原材料は、関東近県で収穫された良質のウルチ米を使用。
3.製造は、製造現場で最低10年の経験を持つ草加市伝統産業技士(草加市地場産業振興協議会認定)が全行程を管理。
4.押し瓦での手焼きまたは押し瓦方式を取り入れた機械焼きであること。
昭和62年11月20日号・平成元年8月20日号・平成3年1月1日号・平成8年3月5日号・平成13年11月5日号・平成13年12月5日号・平成16年11月5日号・平成20年1月1日号〉

・江戸の名物煎餅

・巻煎餅
江戸時代末期創業150年以上の伝統を誇る、福島市飯坂町にある中村屋の看板商品で、温泉街の土産物として知られています。小麦粉と砂糖、卵などを丁寧に練り上げて焼き上げ、熱いうちに中にアメを手作業で巻き付けて作ります。
飴の有平糖は1638年頃長崎で最初に作られました。有平とは、ポルトガル語の砂糖菓子を意味することば「アルフェ」が語源とされます。70年後に京都に伝えられ、京菓子司によって「有平細工物」が考案されました。この有平糖の飴を芯にして巻いた煎餅を「有平巻」といい、「名物鑑」では、赤坂一つ木の中島屋徳兵衛によって売り出されたとされています。
・翁煎餅
江戸照降町、翁屋の名物で、高砂煎餅と呼ばれていました。小判の形をして、翁の面の模様がついていました。
・柳煎餅
柳の葉の形で、上にハッカと砂糖を塗った煎餅で、お土産菓子でした。
・紅梅焼
享保年間、浅草観音堂の境内で、小麦粉に砂糖を混ぜ、こねて伸ばし、梅花の形に抜いて鉄板で焼いた煎餅を売ったところ、江戸中に広まり、江戸の駄菓子の一つとなりました。
・雷焼
紅梅焼を模した煎餅です。小麦粉に檜木玉という砂糖を混ぜて練り合わせ、麺棒で延ばして丸形に抜き、焼き板の上に乗せ、巴の紋を押して焼き上げたものです。招き猫と雲と雷光の看板を掲げて売られていました。
・瓦煎餅
屋根瓦を模した形に焼いた煎餅も様々な種類が作られました。信濃路で足利尊氏が寄進したという饅阿寺の「鬼瓦」、足利時代の「唐草瓦」、鎌倉時代の「巴瓦」、郡部八幡宮の「唐草瓦」などが名物煎餅となりました。
・拳頭煎餅
文化3年(1807年)頃、大阪で売り出されました。江戸で流行した「藤八拳」という遊びのできる煎餅で、藤八拳の形をしたものが煎餅の中に包み込まれていて、煎餅を割って藤八拳が出来ました。
・太助煎餅
九州の福岡県久留米市田主丸の伝統お菓子で現在も伝承されています。
・松皮煎餅
常陸(茨城県下妻市)の名物煎餅で、親鸞上人の縁起があります。
・ねぼけ煎餅
嘉永元年(1847年)徳川幕府の役人であり狂歌で有名な「太田南畝・蜀山人(しょくさんじん)」が幕府から「寝惚堂(ねぼけどう)」という名称を授かりました。そして寝惚堂の狂歌が煎餅に書かれて売られて「ねぼけ煎餅」が生まれました。「ねぼけ煎餅」は神戸で開業され、大阪にも伝わりました。現在は、大阪市天神橋にねぼけ堂があります。

その他の江戸名物煎餅(「名物鑑」)
・槿(むくげ)煎餅(北八丁堀 有屋清右衛門)
・めり安煎餅(下谷池之端)
・葛煎餅(本庄馬場)
・竹村煎餅
・木葉煎餅
・きぬた煎餅(吉原きぬた)
・羽衣煎餅(薬研堀)
・薄雪煎餅(尾張町 伊勢屋治郎兵衛)
・高砂煎餅(神田小川町 高砂屋半右衛門)
・葛煎餅(神田小川町 熊谷長門)
・味噌煎餅(麹町貝坂 山田屋伊兵衛)
・菊一煎餅(麹町三丁目 鈴木兵庫)

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